アメリカに住んで20年という方でも英語が話せないということがある。
永住者の中にそんな方は非常に多い。
一緒にいて横で聞いていても酷い英語だと思うことがある。
しかし、その方達について回ると不思議なことに方々のアメリカ人から声がかかる。
例えば、ロサンゼルスの有名ホテルでレストランのマネージャーをしているY氏、58歳。
持ち前の明るい性格のため、テーブルを回って声をかけていくうちにファンができてしまう。そして、その顧客は何度も何度もレストランに足を運び、挙げ句の果てに友人になって週末のパーティーに呼ばれたりするようになる。
そのパーティーに同席してみると、何も複雑な話をしているわけではない。ほとんど何かを言われて、少しはにかんだように笑っているだけ。
それでもレストランでの仕事はどんどん責任の重いポストにつくようになり、別会社からの引き抜きも常時ある。現在部下の人数は400人。これだけの人員を調整する大役。
英語力が仕事の能力と関係ないと納得させられる人物である。
この方の酷い英語を誰がけなすことができるだろうか?
自分の方が正確で美しい英語を話すと自慢したところで、この方の人望以上の何かがなければ全く無意味だと言うことだ。
英語が話せると話せない人からは
カッコイイ
と言われるようになる。
しかし、本当に他人が憧れるのはこのY氏のような方ではないだろうか。
高度な言い回しを覚えて悦に入る(失礼)方もいるが、独りよがりはみっともない。