外人コンプレックスとは、何をさしているのか、分かりやすい例を挙げてみよう。
日本の大企業「日産」での話。
カルロス・ゴーン氏が社長になって大なたを振るいだしたとき、?日本中にあるディーラーや工場を回ったという。
もちろんゴーン氏の方針を快く思わない社員や関係者もいたそうだが、それらの人々を説得した日本人社員の言葉はこうだったらしい。
「外人さんのすることですから」
日産の復活は日本人の「外国人コンプレックス」を利用して達成しただけなのかもしれない。
日本人の社長だったら方々から反論が上がって、改革が実行できなかったかもしれないが外国人なら“仕方がない、分かりました”と借りてきた猫のようにおとなしくなる。
これが日本人の外国人コンプレックスの姿である。
しかも大企業の姿なのである。
その他、「外資系」というとなぜか洗練されていて“カッコイイ”というイメージで語られたり、日本企業より力があるかのような先入観を持つこともある。
実際はそんなことはないのであるが、外国からきたものに日本人はかくも弱いのである。
外国から日本に来ているのに日本語を話そうという気もない外国人に、
「社内での会議は全て英語で」
と言われ、それが自慢になってしまったりする。
日本人同士が英語で話す姿は異様ですらあるのだが。
英語を話すこと
を必要以上に持ち上げ、
日本語より優れたもの
のように考えるのだとしたら、それは外人コンプレックス・英語コンプレックスによって歪んだ意識が表出した姿に他ならない。
皆さんはどう思われるだろうか?